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若き日の旅
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☆★☆ 世 界 の 旅 ス ラ イ ド 写 真 集 ☆★☆
若き日の旅 1969年12月から14ヶ月間、横浜港から、フランスの貨客船に乗り(食事は、味気なく美味しくありませんでした。男子トイレは、背の低い小生には、用をたすのにギリギリの高さでした。トイレットペーパーも、薄茶色の吸湿性の良くないものでした。) インドで下船し、街には生死の定かでない人々が道路脇に大勢寝ていました。日暮れの駅の構内も同様でした。ネパールに立ち寄り清潔感はありませんでしたが、人々は純朴で安らぎを与えてくれました。雄大なヒマラヤ山脈も、くっきりとその雄姿を美しく現していました。 その後インドへ戻り、最近よくニュースで見聞きするパキスタン・アフガニスタン・イラン・イラクを、現地の人たちの利用するバス乗りましたが、皆さん友好的で朗らかで助かりました。しかし、砂漠ばかりでしたが、イスタンブールにシリアから8時間遅れの列車で着いたら時のは、草木の緑と湾の水色に癒されました。イスタンブールの港の舟の上で売っていた魚のフライは、久しぶりの魚料理で格別美味しかった。その後、生まれて初めての飛行機に乗りギリシャに着陸しました。 ヨーロッパでは、主にヒッチハイクの旅(リュックを背負った薄汚い小生を、高級車によく拾って乗せて、くれ食事もおごってくれたり泊めてくれたり大変お世話になりました。嫌な事も、怖いことも勿論ありました。)をしましたが、懐も残りも少なくなって。デンマークのコペンでの皿洗いの仕事で、帰りの旅費を作りました。(レストランの仕事は、食事付きだったので、食費の高い当地では助かりました。また当時は、日本より北欧の方が4倍くらい時給が高かったのです。)・・・中略・・・。 帰路、ソ連行きのチッケトにミスがあり入国を拒否されそうになりましたが、単純な年号のミスを、認めてくれ(その間2時間ほど天井の高い白い壁の不気味な部屋で待たされましたが)無事帰国できました。ありがとう御座いました。
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ネパールにて、ヒマラヤ山脈を望むところまで、徒歩で数時間!
インド・アフガニスタン・イランにて
ヨーロッパの国々の子供たち
ヨーロッパの国々の石像・銅像